日本の真ん中
伊勢角屋麦酒ビールファンの皆様
こんにちは。伊勢角屋麦酒 社長の鈴木成宗です。
唐突ですが、皆様は「日本の真ん中ってどこ?」と聞かれたらどこを連想しますか?
国会議事堂があるところ?
皇居があるところ?
人口重心?
あるいは地理的重心?
南端と北端の中間の緯度で、東端と西端の中間の経度のところ?
日本の外接円の中心?
ちょっとググってみましたら、人口重心は現在のところ岐阜県関市らしく、地理的重心は富山県沖の日本海の中らしいです。ただし、これは北方領土も計算に入れてとか。
私は、郵便番号の若いところの順番っていうのもありかなと思っています。これもググってみましたら、
100-0001 千代田区千代田(要するに皇居です)
100-0002 千代田区皇居外苑
100-0003 千代田区一ツ橋一丁目
100-0004 千代田区大手町
100-0005 千代田区丸の内
と続きます。
因みに私たち伊勢角屋麦酒のある三重県伊勢市神久6丁目は516-0017です。おお!なんと大きな数。
前置きが長くなりましたが、この100-0005に位置する、つまりほぼ日本のど真ん中の丸の内仲通りにある丸の内仲通りビル1Fにこの度 Marunouchi Happ. Stand & Galleryがオープンしました。そして、伊勢角屋麦酒の特別醸造ビールがこのお店のラインアップに登場しているのです。
これは、感無量なのであります。
そこのところを少し丁寧にご説明させてください。
伊勢角屋麦酒が創業したのは1997年のことです。当時私は29歳。世間様の視線は概ね「餅屋の小せがれの道楽だろ。」といった冷めたものでした。もちろんそういった視線ばかりではなく、応援してくれた方々もいらっしゃって、そこは今でも感謝しているのですが、当時大半は、私たちに冷ややかな視線を送ってくれました。特に、最初の地ビールブームが去った後は、はじめはちやほやしてくれた人たちまで潮が引くように離れていき、営業に行っても「所詮は地ビールでしょ。」というそれはそれは冷たいもの。伊勢では当時地ビールは、大手ビールの品質に及ばない素人の遊び程度に思われていたようです。
2003年世界大会で優勝して以降、地元での当社に対する視線は少しずつ変わっていき、東京でもクラフトビールを愛してくれるファンの方々の信頼を得ていくにつれ、クラフトビール専門店でお取り扱いいただけることも増えてまいりました。はじめて両国のポパイさんで扱ってもらえるようになったときはうれしかったなぁ。とうとう東京の、それもクラフトビールの聖地のようなお店で扱ってもらえるんだなぁって感慨ひとしおでした。その後も、今日に至るまでファンの皆様とクラフトビールをリスペクトしてくださる多くのクラフトビアバー様、そして流通にかかわる方々のお力で、東京都内はもとより全国でお取り扱いを頂けるようになりました。
しかし、これまで何度もおつたえしてきましたように、日本のクラフトビールは1994年の規制緩和から間もなく四半世紀になろう言うのに、未だビール市場の中でたった0.93%しか流通していないんです。本当にニッチなニッチな世界にとどまっています。私はせめてこの0.93%という数字が、3%できれば5%くらいにならないと安定した業界にはならず、ちょっとした風向きの変化で、業界ごと根こそぎ吹き飛んでしまうような、そんな不安定なものだと思っています。そして、私たちのビールも多くは、クラフトビールをよく知ったファンの方々が、そうしたファンの方々のために作られたお店で消費いただいているのです。それは、とても名誉なことで、感謝しかないのです。ですが、そこからの広がりが長い間、なかったのです。
話がずいぶんと大回りしましたが、今回のMarunouchi Happ. は、決してクラフトビールファンの皆様に向けたお店ではなく、丸の内仲通りという、おそらく今日本でも一にを争う先端的な通りに誕生した、Cafe なのです。そのメニューの目玉の一つとして、私たち伊勢角屋麦酒を使っていただいたのです。そして、オープン日。当社のビールは丸の内のハイクラスなビジネスマンの方々にご好評をいただき、予想をはるかに上回るペースで飲んでいただいたのです。
クラフトビールファンの方々に育てていただいた私たち伊勢角屋麦酒は、とうとう、日本のど真ん中で、その町の方々に選び、そして、喜んでいただけるところまできたのです。だから、感無量なのであります。
これからも頑張ります。
私たちをお育ていただいたクラフトビールファンのみなさまどうかこれからもよろしくお願いいたします。